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東京高等裁判所 平成3年(ネ)3863号 判決

主文

一  第一審原告及び第一審被告の各控訴に基づき、原判決中第一審被告に関する部分を次のとおり変更する。

1  第一審被告は、第一審原告に対し、二五四七万六一五〇円及びこれに対する平成四年一月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審原告のその余の請求を棄却する。

二  第一審原告と第一審被告との間に生じた訴訟費用は、第一、二審を通じて三分し、その二を第一審被告の、その余を第一審原告の負担とする。

三  この判決の第一項1は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  第一審原告

1  (平成三年(ネ)第三八六三号事件)

(一) 原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は、第一審原告に対し、四〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

2  (平成三年(ネ)第三八〇二号事件)

(一) 第一審被告の控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は、第一審被告の負担とする。

二  第一審被告

1  (平成三年(ネ)第三八〇二号事件)

(一) 原判決中、第一審被告敗訴の部分を取り消す。

(二) 第一審原告の請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

2  (平成三年(ネ)第三八六三号事件)

(一) 第一審原告の控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は、第一審原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  有限会社アメリカンモーター(以下「アメリカンモーター」という。)は、昭和五九年一二月二六日、第一審被告との間で、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)及び同二記載の自動車(以下「本件自動車」という。)につき、別紙保険契約目録一記載の火災保険(以下「本件契約」という。)を締結し、昭和六〇年二月初めころ、第一審原告に対する債務の支払の担保として、本件契約に基づく火災保険金請求権につき、第一審原告との間で、別紙根質権目録一記載の根質権(以下「本件根質権」という。)を設定する旨の契約を締結し、第一審被告は、同年二月一二日、本件根質権の設定を承諾した。

なお、アメリカンモーターは、これに先立ち、昭和五八年九月二二日、第一審相被告共栄火災海上保険相互会社(以下「共栄火災海上」という。)との間で、本件建物につき、別紙保険契約目録二記載の火災保険契約(以下「別件契約」という。)を締結し、同日、右同様の目的で、別件契約に基づく火災保険金請求権につき、第一審原告との間で、別紙根質権目録二記載の根質権(以下「別件根質権」という。)を設定する旨の契約を締結し、共栄火災海上は、昭和六〇年三月ころまでの間に、別件根質権の設定を承諾した。

2  昭和六〇年一月三日午後八時五〇分ころ、本件建物から出火し(以下「本件火災」という。)、本件建物及び本件自動車その他の動産類が火災によって焼失した。

3  本件建物及び本件自動車の「保険価額」は、前者については四〇〇〇万円、後者については一〇〇〇万円であり、損害額についても、これと同額である。

(一) すなわち、建物の保険価額は、罹災当時の建物と同程度の再築費を算出し、その額から当該建物の経過年数に応じて相当な減価償却を行って評価する復成式評価法が妥当であり、これが保険実務でも一般的に行われているものである。第一審被告は、保険引受時に、共栄火災海上が既に一〇〇〇万円の保険を引き受けていることを知っており、かつ、現地調査をした上で、本件建物につき三〇〇〇万円で引き受けたのであって、このことを考慮すれば、復成式評価法を用いても、保険価額が四〇〇〇万円以上になることは確実である。また、本件自動車は、昭和四〇年型のロールスロイスであり、その骨董品的な価値は大きく、当初、アメリカンモーターの代表者であるAの提示額は二〇〇〇万円であったが、交渉の結果、一〇〇〇万円で合意していることを考慮すれば、保険価額は、一〇〇〇万円であると認めるのが相当である。

(二) また、損害額についても、建物は、再調達価額を基準として、経過年数により時価を算出し、商品については、取得原価を基準とすべきである。本件火災についての本庄消防署の建物損害明細書によれば、焼損面積は一二九・七九平方メートル、焼損面積に計上できない箇所及び表面積は天井及び壁合計一一六・五五平方メートルであって、その損害金は一九一〇万一〇〇〇円とされ、その他消防損害(ガラス破損)として六万二五〇〇円が計上されて、合計の損害金は一九一六万三五〇〇円と評価されている。しかし、これは、焼毀の場所、内容を明確にするために、現に焼毀された部分とそれ以外の部分とを特定し、これを補完するものとして損害額を算出しているものであるが、保険業務においては、火災事故によって被保険者が被った経済的価値の減少の補填という観点から損害額を査定すべきものであり、この観点からすると、例え、建物の形骸は残っていても、修理による原状回復が技術的、経済的に困難な場合あるいは修理費が過大となる場合には、建物の全焼と解し、全損として評価すべきである。本件においては、前記明細書においても、全損と記載されており、前記両者の面積を合計すると、本件建物面積の約九三・五パーセントとなり、まさに全損として評価されて然るべきであるので、本件建物の損害額は少なくとも四〇〇〇万円を下らないというべきである。

本件自動車についても、その取得価額は二〇〇〇万円であり、ロールスロイスという稀少価値の自動車であるということを考慮すると、罹災時における時価は二〇〇〇万円以上であると評価されるべきであり、また、第一審被告がこれを一〇〇〇万円と評価してから間もないという点を考慮すると、損害額は少なくとも一〇〇〇万円を下らないというべきである。

(三) 仮に、(一)、(二)の査定が相当でないとするならば、火災保険普通保険約款(以下「本件約款」という。)二〇条によると、保険価額及び損害額に争いがある場合には、第一審被告には評価人を選定して査定する義務があるので、これを行い、この評価額によるべきである。

4  第一審原告は、本件根質権に基づき、アメリカンモーターが第一審被告に対して有する本件契約から生ずる火災保険金請求権について、浦和地方裁判所川越支部に対し、債権差押及び転付命令の申立てをし、同裁判所は、昭和六三年四月八日、債権差押及び転付命令を発し、その正本は、アメリカンモーターに対して同月二六日に、第一審被告に対して同月一一日に送達された。

5  本件火災による保険金請求の手続については、本件約款一七条一項において、保険契約者又は被保険者は、保険の目的について損害が生じたことを知ったときは、遅滞なくこれを保険会社に通知し、損害見積書に保険会社が要求するその他の書類を添えてその通知の日から三〇日以内に提出しなければならないものとされているところ、これは、保険会社が保険契約者又は被保険者に対してこれらの書類の提出を要請することが前提となっているのであり、また、同約款二二条本文においては、同一七条における手続をした日から三〇日以内に保険金を支払うこととなっている。

本件火災は、昭和六〇年一月三日に発生し、損害が生じたものであるが、Aは、同年一月五日には、第一審被告川越支社の支社長である井上正雄に火災があったことを通告し、一緒に火災現場に同行してその視察を受けており、また、同月一一日には、本庄消防署に罹災申告書を提出しているところであり、Aとすれば、第一審被告から書類提出の要請があれば、容易にこれを行うことができたのであるが、第一審被告から何らの要請もなかったことから必要書類の提出をしなかったものであり、このような場合には、本件約款一七条の手続をしていないことをもって、保険金請求権の履行期が到来していないと主張することは条理に反し、許されない。したがって、同約款二二条本文により、同年一月六日から三〇日を経過した同年二月五日にその履行期が到来したというべきである。

なお、本件約款二二条ただし書においては、保険会社が三〇日以内に必要な調査を終えることができないときには、これを終えた後に、遅滞なく保険金を支払うということになっているが、これは、保険会社の責に帰すべきではない客観的な相当の事由があるときに適用されるべきものである。たしかに、保険契約者又は被保険者が火災の発生につき放火罪の被告人として訴追を受け、その審理中であるような場合には、その判決の確定を待つという客観的な相当の事由が存するということができるが、単にその者が容疑を掛けられて逮捕勾留された事実があるのみでは客観的な相当の事由が存するとはいえないといわざるを得ない。しかも、本件においては、別件逮捕勾留がされたが、その後に釈放されているのであって、その後、捜査機関においてその捜査を継続していたとしても、このことをもって保険会社の責に帰すべきではない客観的な相当の事由が存するとはいえないことは当然である。

6  よって、第一審原告は、第一審被告に対し、四〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項、2項及び4項は認め、同3項及び5項は争う。

2  請求原因3項(保険価額及び損害)に対する第一審被告の主張

(一) 消防法においては、火災及び消火のために受けた損害の調査義務について規定しており、また、火災保険については、火災によって保険の目的について生じた損害に対して保険金を支払うものであるから、その損害等の査定については両者に違いはなく、同一である。そして、保険実務においては、事前に保険価額の査定をすることはなく、保険事故が発生した後に査定をするのが通常である。本件において、第一審原告は、本件契約における保険金額が保険価額であると主張するが、保険価額は、保険の目的物の事故発生直前の時価によって決定されるのであって、保険金額によるものではない。

また、本件建物が全損であるか否かについても、消防法の建前と保険実務のそれとは異なるところはなく、前者においても、経済的観点を考慮した上損害の算定をしているものである。

したがって、本庄消防署作成の損害額査定票記載の評価額をもって、保険価額及び損害額を査定すべきである。

(二) なお、本件約款二〇条の規定の適用については、これは出火の原因につき争いがなく、その損害額につき争いがある場合にのみ適用されるのであって、本件火災のように、第一審被告が保険金請求の除外事由になるとして争っている場合には適用がなく、評価人の査定結果が存したとしても、これに従うべきではない。

3  請求原因5項(遅延損害金の起算日)に対する第一審被告の主張

(一) 本件約款二二条本文においては、保険契約者又は被保険者が同一七条の規定による手続をした日から三〇日以内に保険金を支払う旨規定しているのであって、この意味は、保険金請求者が同条の規定による手続を履践しなければならないのであって、保険会社が保険の目的につき損害が生じたことを知ったとか知り得る状態になったときから三〇日以内に支払わなければならないということではない。本件においては、Aは、同一七条の規定による手続を行っていないので、本件保険金の支払につき遅滞の責任はない。

(二) 本件約款二二条ただし書においては、保険会社が同一七条の規定による手続をした日から三〇日以内に調査を終えることができないときは、これを終えた後、遅滞なく保険金を支払うと規定されているが、本件はこれに該当する場合である。

保険契約者又は被保険者が保険契約の目的物に対する放火罪の被告人として訴追を受け、その審理中である場合には、その判決確定に至るまでは必要な調査を終えることができない場合に該当すると解されるところ、本件においては、Aは、別件の罪で逮捕勾留されたとはいえ、放火の容疑で取調べを受けており、その釈放後においても、公訴時効期間が経過するまで捜査が継続されていたのであって、したがって、その捜査の結果が明らかとなるまでは保険金を支払うべきか否かの判断をすることは困難であり、前述の場合と同様に、期間内に必要な調査を終えることができない場合に該当するというべきである。したがって、この放火罪の公訴時効が完成した平成四年一月三日の前日までは、第一審被告は保険金支払の遅滞の責を負わない。

三  抗弁

1  第一審被告は、昭和六〇年二月一二日に本件根質権の設定につき承諾の意思表示をしているが、これは錯誤により無効であり、第一審原告はこれを第一審被告に対抗することはできない。

すなわち、本件については、Aから、昭和六〇年二月四日に本件根質権の設定につき承諾を求める旨の申請が第一審被告秩父支社にあったが、同支社は、本件契約取扱の支社ではなかったために、本件火災の発生を知らず、そのために、質権設定の承認の担当部である第一審被告本社内務部にはこの旨の連絡が行われず、同部においては、本件火災が発生していないものと誤信し、本件根質権の設定を承諾したものであり、仮にこれを知っていれば、第一審被告としてはこれを承諾しなかったものであって、右承諾は錯誤により無効である。

2  本件火災は、被保険者のアメリカンモーターの代表取締役のAが保険の目的である本件建物に放火をしたものであるから、本件約款二条一項(1)により、第一審被告は保険金支払義務を免れることができる。

(一) Aには、本件建物に放火すべき以下のような動機がある。

(1) 本件火災発生当時、アメリカンモーターは、三億円から三億五〇〇〇万円もの莫大な借財を抱え、同社の経営は極度に悪化しており、社員の給与の遅配もしばしばあった。

(2) Aは、昭和五九年一二月初めころ、他の外車の保険金の額が予想外に高額であることを別件の交渉で知り、その直後に、本件自動車であるロールスロイスに保険を掛けたい旨第一審被告に連絡をしている。

(3) 本件自動車は、登録もされておらず、かつ、自走することもできない中古品であり、長年の間、アメリカンモーターの川越本社のトイレの側に放置されていたものであって、その骨董品的な価値もそれほどないのに、Aは、当初、二〇〇〇万円の保険金を掛けようとした。また、Aは、本件契約の直前に、突然、本件自動車を本件火災現場である本庄営業所に移動し、かつ、これをその営業所のある建物には置かずに、その前の道路を隔てて反対側にある本件建物の中に置き、また、本件建物は、ほとんど使用されていなかったもので、民家も接しておらず、類焼のおそれもなく、これが焼失しても、全く営業には支障がなかったという状況にあった。

(二) 本件火災現場におけるAの行動等については、以下のとおりである。

(1) 本件火災は、昭和六〇年一月三日午後八時五〇分ころに発生したが、そのころ、本件建物の側に男性が一人おり、消火もせずに、無灯火の自動車で本件現場から走り去ったことが目撃者の供述から明らかであり、また、本件建物には、電気施設はあるが、これは切られており、失火に結びつくものは存在せず、さらに、本件自動車については、火災による損傷はなく、搬入時には破損していなかったドアー及び後部の窓ガラスが割られていたのであって、この者が本件建物に放火をしたことは疑いがないところである。

(2) Aは、本件建物について、別件契約を締結しており、重複して保険契約をしていながら、第一審被告にこれを秘して本件契約を締結している。

(3) 本件現場から立ち去った無灯火の自動車(以下「逃走車」という。)は、アメリカンモーターが実質上所有し、Aが専用車として使用していた白色のマツダカペラ(練馬五七ま九九五六)であった。

すなわち、複数の目撃者の証言によると、逃走車は、白色の普通乗用自動車であり、その登録番号は、「練馬」、「五七」、「九九五六」については明らかであり、その間の「平仮名の番号」が不明であるだけであるところ、捜査機関においては、これに基づき、すべての「平仮名番号」の自動車及び「群馬」と仮定した同番号の自動車について捜査したが、他に疑うべき自動車は存在しなかったのであって、「練馬五七ま九九五六」の白色のマツダカペラが逃走車であったことは疑いのないところである。

(4) 逃走車の複数の目撃者は、写真及び透視鏡による選別において、いずれも、これを運転していたのはAである旨供述している。当時の現場は、新聞も読めるほどに明るく、間違いのおそれはない。

(5) Aは、昭和六〇年一月三日の夜は、自動車で数時間外出し、その間のアリバイが不明である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1項は争う。

2  同2項の各事実は知らない、その主張については争う。本件証拠関係から認められるのは、最大限第一審被告に有利に解したとしても、Aが本件火災現場付近にいたということだけであって、これだけによってAが本件建物に放火したことにはならないのであり、また、Aがどのような方法をもって何に火を放ったかについては全く不明であり、本件火災をAの放火として本件保険金の支払を免れることはできない。

第三  証拠関係(省略)

理由

一  当事者間に争いのない事実

第一審原告の請求原因1項、2項及び4項の事実(本件契約の成立、本件根質権の成立と承諾(共栄火災海上の別件契約の分を含む。)、本件火災の発生、第一審原告の債権差押及び転付命令の発令)については、当事者間に争いない。

二  本件根質権設定の承諾の錯誤の成否について

当事者間に争いのない事実と乙第一二号証及び第四七号証によれば、本件契約の締結を担当したのは第一審被告の川越支社であり、本件根質権の設定につきアメリカンモーターがその承諾を求めたのが第一審被告の秩父支社であったこと、承諾を求めたのは、本件火災が発生した後である昭和六〇年二月四日であり、右承諾をしたのが同月一二日であったことが認められる。

右承諾につき、第一審被告は、契約取扱支社と承諾を求められた支社が異なったため、根質権設定の承諾につき担当をする第一審被告本社内務部に対して本件火災が既に発生していることが伝えられず、同部においては、これが発生していないものと誤信して、本件根質権の設定を承諾したものであり、右承諾には錯誤があり無効である旨主張する。

しかし、証人井上正雄の証言によれば、同人は、本件火災が発生した当時の第一審被告川越支社の支社長であるが、本件火災が発生した二日後の昭和六〇年一月五日にAより本件火災が発生したことの連絡を受けて火災現場まで赴き、本件建物及び本件自動車の焼毀状況を視察しており、同支社としてはこれを知っていたことが認められるところであり、仮に第一審被告の本社内務部において本件火災の発生につき知らなかったとしても、根質権設定の承諾を求めるについては、契約上又は本件約款上保険契約締結を担当した支社に対して行わなければならないとされていたとの証拠がない以上、どの支社に対してこれを申請しても構わないのであり、その場合の調査をどのように行うかは第一審被告の内部問題であって、本件承諾申請を取り扱った秩父支社又は内務部において川越支社に火災発生の有無を確認する等の調査をせず、又は川越支社から内務部に対し本件火災発生の報告がなされていなかったとしても、そのことにより、第一審被告として本件火災の発生を知らずに本件根質権設定の承諾をしたということはできない。したがって、第一審被告の抗弁は失当であり、本件根質権の設定についての第一審被告の承諾は有効である。

三  第一審被告の免責の成否について

乙第一七号証によれば、本件約款二条一項(1)においては、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人(保険契約者又は被保険者が法人であるときは、その理事、取締役又は法人の業務を執行するその他の機関)の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害については、第一審被告は保険金の支払を免れることとなっていることが認められるところ、第一審被告は、Aが本件建物に放火した旨主張するので、この点について検討を加える。

1  乙第一、二号証、証人A、同茂木聡美子の各証言によれば、以下の事実が認められる。

本件建物は、アメリカンモーターの本庄営業所に近接しているものの、昭和五九年五月ころからその営業には全く利用されていなかった建物であって、ガス、電気、水道の供給は停止されており、油類の保存もしていなかった。同営業所は昭和五九年一二月三一日から同六〇年一月三日までの間は休業しており、昭和五九年一二月三一日には、従業員が本件建物の出入口に施錠をして戸締りをし、ガラス戸も割れておらず、本件建物にはその他何らの異常もなかった。本件火災が鎮火した後の本件建物の様子は、南側裏出入口は施錠はされておらず、焼毀又は消火のためとは認め難いガラスの破損がかなりあり、出火場所と思われる本件建物内のレジ室では、種類不明の油が検出された。また、本件火災発生当時、本件建物の東側には一人の男性が立っており、その直後、その者が側に駐車してあった白色の自動車を無灯火のまま急発進させて現場から走り去っている。

これらの事実によれば、本件火災は放火によるものと認められるところである。

2  次に、本件火災がAの放火によるものか否かにつき、子細に検討する。

(一)  乙第九号証、第一一号証の一、二及び第一三号証並びに証人馬場晃、同井上正雄及び同Aの各証言によれば、おおむね第一審被告の抗弁2(一)の(1)から(3)までの各事実が認められ、これらによれば、Aには本件建物に放火をする動機が存することは否定することができない。

(二)  逃走車について

(1) 乙第一〇号証、第一三号証及び第四二号証ないし第四五号証並びに証人A、同石井一榮及び同Bの各証言によれば、本件火災発生当時、アメリカンモーターにおいては白色のマツダカペラ(練馬五七ま九九五六)を実質上所有しており、これを川越本社で使用していたことが認められる。この自動車を誰が使用していたのかについて、アメリカンモーターの従業員であった石井一榮は、Aの専用車であったとしているが(乙第一三号証及び同人の証言)、乙第四五号証並びに証人A及び同Bの各証言によれば、Aがこの自動車を使用したことがあることはたしかであるが、他の従業員もこれを使用していたこと、また、この自動車の鍵は会社の事務所の一定の場所に一括して掛けられており、他の者が自由に使用することができる状況にあったことが認められ、A以外の者が使用することができないといういわばAの専用車であったとは認めるに足りない。

(2) 本件火災現場から走り去った逃走車については、出火当時たまたま現場の道路を走行していた複数の目撃者の通報又は供述がある。すなわち、乙第二三号証の本件火災発生直後の一一九番通報(これは、乙第二八号証ないし第三〇号証及び弁論の全趣旨によれば、茂木嘉之が通報したものと思われる。)によると、白の乗用車で、登録ナンバーは、「練馬」、「五六か五七」又は「五〇いくつか」、「九九五六」であったというものであり、乙第二五号証ないし第二七号証の草間茂の警察での供述調書によると、白の乗用車で、登録ナンバーは、「五七」、「九九五六か九九六七」であったというものであり、乙第二八号証ないし第三〇号証の茂木嘉之の警察での供述調書によると、白の乗用車(一八〇〇ccないし二〇〇〇cc)で、登録ナンバーは、「練馬」、「五六か五七」、「九九五六」であったというものであり、乙第三一号証、第三二号証、第三四号証の茂木聡美の警察での供述調書等によると、白の乗用車(一八〇〇ccないし二〇〇〇cc)で、登録ナンバーは、「練馬」、「五七」、「九九五六」であったというものである。そして、乙第四一号証及び第四六号証によれば、本庄警察署は、登録ナンバーによる自動車の捜査を行い、これによると、「練馬」と「九九五六」の番号を手掛かりとして、「五〇代のナンバー」に絞った場合に対象となる自動車は四五台あり、「群馬」と「九九五六」を手掛かりとして「五〇代ナンバー」に絞った場合に対象となる自動車は五七台あることが判明したが、後者については疑わしいものはなく、前者については、「五〇代のナンバー」とすべての「平仮名ナンバー」を調査し、そのうち白色の国産乗用車(ワゴン車を除く。)は一一台であるところ、捜査の結果いずれも本件に無関係であると断定されたことが認められる。

右の各証拠によると、逃走車がアメリカンモーター所有の「マツダカペラ」である疑いがかなり濃厚であるといわざるを得ないところである。

(3) 逃走車の運転者について

乙第三一号証ないし第三六号証、第三八号証、第三九号証及び証人茂木聡美の証言によれば、目撃者である茂木聡美、草間茂は、警察で行われた写真及び透視鏡による各選別において、いずれもAの写真又はA本人を見て本件火災現場から走り去った逃走車を運転していた男性に良く似ている旨供述していることが認められる。

しかし、右の各選別が行われたのは、昭和六〇年九月二六日以降であって、本件火災発生の日から約九月も経過しており、夜間逃走する車中の人物を見た記憶によるものであることを考慮すると、その記憶自体に疑問を投げかける余地があるといわざるを得ない。また、当時Aの愛人(その後に婚姻した。)で川越本社の建物に住んでいたBは、Aは昭和六〇年一月三日は川越本社に出勤し、同日午後八時三〇分ころまで勤務し、その後、自動車で外出して午後一一時ころに川越本社に戻った旨証言しているところ、本件火災が同日午後八時五〇分ころ発生してることから、この証言が真実であるならば、川越本社から火災現場までの距離等を考慮すると、その時刻までにAが本件火災現場に到着することができる可能性はほとんどないということになる。たしかに、Aの当日夜の行動についてはこれを裏づける客観的証拠が何もなく、BがAをかばっているのではないかということも否定することはできないが、Bは現在すでにAと離婚をしており、本事件において証言する時点ではAのためにあえて虚偽の事実を述べるというほどの関係にはなく、その証言をいちがいに信用することができないとは断定しがたいところである。

(4) 捜査当局の事件処理について

乙第二号証、第四号証ないし第九号証、第二四号証ないし第四六号証、丙第四号証の一、二、証人A、同笹原正雄の各証言及び弁論の全趣旨によれば、本庄警察署では、本件火災の発生直後から非現住建造物放火等事件として県警本部捜査一課と合同で捜査を開始し、すでに認定したとおり目撃者やアメリカンモーターの従業員らを取り調べるとともに、Aをその有力容疑者と目して、昭和六〇年七月一八日、同人を別件の不動産侵奪容疑により逮捕し、以来六か月前後にわたり、身柄拘束のまま本件の放火事件についても詳細な取調べを続けたが、Aは一貫して容疑を否認し、結局、決め手を得るに至らなかったため、四件の別件については起訴したものの、本件放火については、被疑者不詳のままとされ、平成四年一月三日に公訴時効が完成したことが認められる。

3  以上に検討したところによると、本件建物は放火により焼失したこと、Aには放火をする動機が存在していたと解され、また、アメリカンモーターのマツダカペラが本件現場にいた疑いも濃厚であることから、Aが放火をしたのではないかとのかなりの疑いがあることは否定できないが、逃走車を運転していたのがAであると断定する証拠はいまだ十分ではなく、本件火災がAの放火によるものであると認めるには躊躇せざるを得ない(民事事件と刑事事件とでは証明度が同じではないにしても、放火というような行為の認定は慎重に行うべきものである。)。

したがって、第一審被告の免責の主張は採用することができないといわざるを得ない。

四  支払うべき保険金額について

1  乙第一七号証の本件約款四条によれば、損害保険金として支払うべき損害額は、保険価額によって定め、保険金額が保険価額と同額あるいはこれを超えるときは、保険価額を限度として損害の額を損害保険金とし、保険金額が保険価額より低いときは、支払うべき損害保険金の額は、対象となる目的物の損害の額に保険金額を乗じ、これを保険価額で除して算出され、同五条によれば、対象となる同一の目的物に重複して保険契約が締結されている場合において、それぞれ他の契約がないものとして算出した損害保険金の合計が現実の損害額を超えるときには、当該損害額を各自の支払責任額の割合で按分して各保険金額を算出するものであることが認められる。

2  乙第二〇号証によれば、本件建物の保険価額は三九六〇万円、損害額は三一八五万一〇〇〇円であり、本件自動車の保険価額は一六五万円、損害額は一五八万七九〇〇円であることが認められる。

この点について、第一審原告は、保険価額及び現実の損害額は保険金額(本件建物については本件契約と別件契約の各保険金額を合計したもの)と同額である旨主張している(本件建物につき四〇〇〇万円、本件自動車につき一〇〇〇万円)が、右主張を採用することはできない。

一方、第一審被告は、本庄警察署作成の損害額査定票記載の評価額によるべきであると主張する。しかし、本件約款二〇条一項によれば、保険価額又は損害の額について、保険会社と保険契約者等あるいは保険金を受け取るべき者との間に争いを生じたときは、当事者双方が選定する評価人の判断に委ねるものとされていることが認められ、本件においては、必ずしもこの趣旨で行われたものではないにしても、第一審被告において鑑定をし、その結果が出されているので(乙第二〇号証)、同条の趣旨に照らして、この鑑定書による査定額に従うべきであると思料されるところであり(なお、第一審被告は、同条は、出火の原因に争いがなく、保険価額又は損害額について争いがある場合のみに適用されるべきものであると主張するが、同条をもってこのように解すべき合理的理由は存しない。)、第一審被告の主張も採用することができない。

3  そこで、支払うべき損害保険金の額について、具体的に算出する。

本件建物については、保険金額が保険価額より低いときに当たるので、本件約款四条三項により、損害保険金の額は、損害額(三一八五万一〇〇〇円)に保険金額(三〇〇〇万円)を乗じ、これを保険価額(三九六〇万円)で除した二四一二万九五四五円となる。しかし、本件においては、共栄火災海上との間に保険金額一〇〇〇万円の別件契約が存するので、双方を按分する必要がある。そして、共栄火災海上の損害保険金の額は、上記計算式につき保険金額三〇〇〇万円を一〇〇〇万円に置き換えて計算すると、八〇四万三一八一円となる。したがって、第一審被告と共栄火災海上とが独立に支払うべき損害保険金の額の合計は三二一七万二七二六円となり、損害額の三一八五万一〇〇〇円を超えるので、これを両者で按分すると、第一審被告の支払うべき損害保険金は、二三八八万八二五〇円となる。

次に、本件自動車については、保険金額が保険価額を超えるときであるので、本件約款四条二項により、一五八万七九〇〇円が支払うべき損害保険金の額となる。

以上を合計すると、第一審被告が第一審原告に対して支払うべき損害保険金の額は、二五四七万六一五〇円となる。

五  遅延損害金の起算日について

1  乙第一七号証の本件約款二二条本文においては、同一七条の規定による手続をした日から三〇日以内に損害保険金を支払う旨規定し、同一七条一項においては、保険の目的に損害が生じたことを知ったときは、保険契約者又は被保険者は、遅滞なくこれを保険会社に通知し、かつ、損害見積書に保険会社の要求するその他の書類を添えて、この通知をした日から三〇日以内にこれを提出しなければならないとされており、保険金は、特段の事情がない限り、この手続が終了してから三〇日以内に支払われるのが原則であることが認められる。

ところで、本件において、アメリカンモーターが第一審被告に対して本件火災の発生から昭和六〇年三月二二日までの間に保険金の請求をしたことは乙第四八号証により認められるが、その具体的な時期及び同一七条の正規の手続を履践したものであったか否かについては、これを認めるに足りる証拠はない。しかし、この規定は大量かつ画一的な事務処理の便宜のために定められた手続的要件であり、必ずこれが履践されない限り、実体的要件が備わっているものについてもすべて請求に応じなくてもよいことを定めたものとは解されない(同条四項は、正当な理由がないのに一項の規定に違反したときは保険金を支払わないと定めているところである。)。アメリカンモーターの保険金請求は、右のとおり遅くとも同年三月二二日までにはなされたものであるが、証人A、同井上正雄の各証言によれば、第一審被告川越支社の支社長である井上正雄がAから本件火災発生の連絡を受けて同年一月五日ころ本件火災現場を視察している事実が認められることなどをも考慮すると、右請求が同条一項の正規の手続を履践したものでなかったとしても、正当な理由のない手続違反の請求として効力を否定するのは相当でない。

2  そこで、保険金の支払時期についてであるが、第一審被告は、本件約款二二条ただし書において、保険会社が三〇日以内に調査を終えることができないときは、これを終えた後、遅滞なく支払うと規定されており、本件は保険契約者及び被保険者であるAが逮捕され、公訴時効が経過するまで捜査が継続されていたのであるから、保険契約者又は被保険者が保険の目的物の放火罪の被告人として訴追を受けている場合と同様に、公訴時効が経過するまで必要な調査を終えることができなかったというべきであり、第一審被告は公訴時効が完成する前日の平成四年一月二日までは遅滞の責任を負わないと主張する。

そして、弁論の全趣旨によれば、第一審被告がAからの保険金請求に応じなかったのはAの放火容疑によるものであることがうかがわれ、前記三の認定判断からすると、右第一審被告の主張は首肯するに足りるものというべきである。したがって、第一審被告が保険金の支払につき遅滞の責任を負うのは、その自認するとおり公訴時効の完成した平成四年一月三日であると認められる。

六  以上の次第で、第一審原告の請求は、右に認定した限度おいて正当であるので、第一審原告及び第一審被告の本件各控訴に基づき、これと異なる原判決を一部変更することとし、主文のとおり判決する。

(別紙)

物件目録

一 埼玉県本庄市寿三丁目三四九番地二、同三四九番地二先所在

家屋番号三四九番二

軽量鉄骨造スレート葺平屋建店舗一棟

二六三・三平方メートル

二 自動車(昭和四〇年型ロールスロイス)

(別紙)

保険契約目録

一 契約年月日 昭和五九年一二月二六日

種類    火災保険

保険期間  昭和五九年一二月二六日から同六〇年一二月二六日まで一年間

保険金額  保険の目的(一)につき三〇〇〇万円、同(二)につき一〇〇〇万円

保険者   安田火災海上保険株式会社

被保険者  有限会社アメリカンモーター

保険契約者 有限会社アメリカンモーター

保険の目的 (一) 別紙物件目録一記載の建物

(二) 同二記載の自動車

二 契約年月日 昭和五八年九月二二日

種類    火災保険

保険期間  昭和五八年九月二二日から同六八年九月二二日まで一〇年間

保険金額  一〇〇〇万円

保険者   共栄火災海上保険相互会社

被保険者  有限会社アメリカンモーター

保険契約者 有限会社アメリカンモーター

保険の目的 別紙物件目録一記載の建物

(別紙)

根質権目録

一 別紙保険契約目録一記載の保険契約に基づいて有限会社アメリカンモーターが安田火災海上保険株式会社に対して有する火災保険金支払請求権につき、有限会社アメリカンモーターが埼玉信用組合に対して昭和六〇年二月初めの時点において負担し、また、将来負担する一切の債務を担保するために、有限会社アメリカンモーターと埼玉信用組合との間で設定した根質権

二 別紙保険契約目録二記載の保険契約に基づいて有限会社アメリカンモーターが共栄火災海上保険相互会社に対して有する火災保険金支払請求権につき、有限会社アメリカンモーターが埼玉信用組合に対して昭和五八年九月二二日の時点において負担し、また、将来負担する一切の債務を担保するために、有限会社アメリカンモーターと埼玉信用組合との間で設定した根質権

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